ロックンロールボーイ


金曜7:00からの放送は、半年で終わり、その後は深夜枠に移りました。
深夜枠も、半年でおわり、私自身も忙しくなり、誰カバとの接点が見つからないまま
過ごしてました。



そもそも、このサイトを何故やろうとしたのか?
少し書いてみます。

一番の、理由は誰カバが大好きって事なんですが。




2006年9月2日

「誰がかばやねんロックンロールショウ 生誕30周年縁会」

と言うのが、難波のビッグキャットでありました。

このLIVEの為に、リハビリLIVEとして、梅田のレインドッグスや、京都磔磔、拾得でLIVEが行
われ無事9月2日縁会は終了しました。


でも、それ以前。情報を得る手段はほとんどありません。
円ちゃんは、ずっと演ってた!と言われますが、私には、見えませんでした。



2003年11月28日に大阪のヒポポタマスというライブハウスの絡みで作られていた、「ダンシ
ング義隆のホームページ」を発見しました。



もう、このホームページも存在しませんが、そこは、義隆さんが管理人で、たまに出てこられま
したので、それはそれは本当に胸がわくわくする日々でした。

その中には、誰カバの歴史(下に貼り付け)や春一番にソロとして出た事。
ダンシング義隆として、「YOSHIxYOSHI」と「アミーゴ セブン」の二枚のアルバムを出してい
る事。


そんな中、2004年2月22日
京都の「はちはち」というところで、「ソロライブ」があるとの情報で、我が息子2人を連れ見に行
きました。
「一人、カバやねん」やソロでのナンバーを色々聞かせてもらいました。

一番知らなかった、知りたかった、ソロの活動の事。
アメリカや、東京での生活の事色々お話ししてもらいました。



そして、その後鶴橋のHAZEというところでのLIVEを境に、ホームページも見れなくなりまし
た。
BBSは何とか残ってましたが、義隆さんからのメッセージは得る事が出来なくなりました。



そんな時、このサイトを立ち上げ「誰カバ」の事を残そうと思ったのです。
これから産まれ来る子孫たちへ。






1976年 
●滋賀県大津市西武百貨店大ホールにて今は亡き憂歌団、ダンシング義隆とのジョイントコン
サート、 バックバンドとして家紋料プロデュースによる「誰がカバやねんブルースバンド」結
成。 絶賛される。
●ブルースのレパートリーが一曲もなかった為、後にロックンロールショーと改名。 

   
1977年
 ●関西のライブハウスを荒らし廻る。 西岡恭蔵、大塚まさじ、上田正樹、大上留利子等と共
演。 プロミュージシャン達に絶賛される。
●東京ピア展出場、田川律氏絶賛。
●同志社大学学園祭出演。 楳図かずお、ハルヲフォンと共演。 この頃から京都を中心に伝
説バンドとして認知される。 「誰がイモやねんサド・マゾ・ショー」なるにせものバンド現わる。 
   

1978年
 ●TV朝日「ハロー・ヤング・ポップス」出演(司会:つるべ)
●なんば花月にてタモリ・所ジョージの全国冗談コンサートにゲスト出演。
終演後、吉本興業からスカウトされるが「ボクらロックンローラーですから」と断る。
●ある日突然、自宅に横山ノック事務所から電話があり、スカウトされるが「ボクらロックンロー
ラーですから」と断る。 

   
1979年 
●ヤマハ8-8ロックコンテスト出場、グランプリ獲得。 コンテストにもかかわらず、アンコールが
鳴り止まず。 8-8ロック始まって以来の異常事態発生。 勿論、社会問題までは到らず。
●関西TV番組レギュラー(渡辺プロダクション所属) 「誰がカバやねんロックンロールショー」
放送開始。 (ゴールデンタイム金曜PM7:00〜7:30)半年間 (深夜AM12:00〜1:00)半年間。司
会、準レギュラーに明石家さんま、紳助、竜介抜擢。 後のマンザイブームに火をつける。 
   

1980年
 ●念願のレコード・デビュー
トリオレコードからアルバム「WAO...」(4月)「2枚目」(11月)シングル「誰がカバやねん」「ボクの
知ってる大阪」リリース。
●全国ツアーを開始。北から南をとび廻る。
●とぶ鳥を落とす勢いで学園祭を荒し廻る。 広島経済大学、大阪経済大学、近畿大学、名古
屋・名城大、神戸松蔭女子大、岡山大、奈良工専大、武庫川女子大、帝塚山学院等。
●慶応大三田祭、桃山大学にてRCサクセション出演のまえにRCサクセションになりすまし、
「みんな憎み合ってるか〜い」と呼びかけ、大絶賛。これを機にキヨシロー、チャボと仲良しにな
る。 
   
1981年 
●ダンシング義隆、太田裕美と文化放送DJ担当
●内田裕也プロデュースによるチャックベリー初来日・初ステージの
オープニングアクトを名古屋にて務める。内田裕也絶賛。
●大阪バナナホールオープン記念に誰カバ出演、300人以上を超える観客動員。 
   

1982年
 ●誰カバは4月1日「エイプリルフール・解散ライブ」で活動休止宣言、世間 は マジで解散し
たと・・・  
   
1986年 
●バナナホールにて「10周年記念・誰カバ」を開催。
●「セイブ・ザ・ランド」日比谷野外音楽堂にて誰カバのゲストに忌野清志郎、友情参加「誰がカ
バーズやねんロックンロールメドレー」で登場、絶賛される。 
   

1990年 
●活動再開、なにごとも無かった様に行われた。「カバの耳に念仏ツアー」(一説では、誰かメ
ンバーを抹殺して追悼ライブにするという計画があったといわれている。)やがて“伝説”となっ
た誰カバだが、しかし、その後も時折思い出したようにフラッとライブに現れている。 
   

1996年 
●大阪ミナミに開局したコミュニティーFM「YES-FM」開局記念イベントで再復活、難波ウォーホ
ールで「誰カバ結成20周年記念」を開催。 
   

1999年
 ●過去のアルバムが関西音源保全協会の手によりCD盤として復活。復刻記念ライブをアメ
リカ村BIG CATで開催。 

   
2005年 
●『春一番』に久々の誰がカバやねんロックンロールショー登場。
●翌年の30周年を控え、夏と秋にリハビリテーションライブ「美しき五十代」を開催。 
   

2006年 
●3月、リハビリテーションライブの一環として、伝説・京都降臨、拾得での二十数年ぶりのライ
ブ、千客万来・大盛況。後日、毎日放送のVOICEで特集される。
●2006年 秋 誰がカバやねんロックンロールショーは生誕30周年を迎えます。 





ラストテーマ



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