Pon−nichi
前面的に写真を借りております。
何かありましたら、ご一報下さい。
同時進行として、義隆さんは、ダンシング義隆として、ソロ活動と。
萩原義郎さんと、YoshiXYoshiというユニットも。
アルバムも二枚発売されています。
↑2007年10月21日 天狗ロックジャンボリーより Yoshi I Yoshi
写真提供 テング!ジジイ様。
2007年12月30日 目覚めよ!化け物ども より
誰カバも義隆さんも色んな人に支えられて今日があると思いますが、
ソロの義隆さんを語る中で、忘れてはならない人がいます。
その名は、Cutting義隆。
↓以下義隆さんの、日記より。
なんこうさんのリクエストを受けてミクシー日記番外編・
「Cの謎を解く」を綴ります(忘れる前に…) あれは確か神戸に大きな地震が来る前の前の前
の年じゃったかのォ 儂が東の地から舞い戻って琵琶湖の堅田で音番を任されておった真冬の ことじゃった
余りに寒い冬故にマスターの古茶の水博士と企てた「五夜連続ライヴ」の初日のこと 夕方から
シンシンと降り積もる雪を眺め「さぁ、今日は店をたたんで羽を伸ばすか!」と一息ついた時に 開かずのドアをこじあけフルフェイス仮面を被った見知らぬライダーが現れた
「出たな!妖怪!!」とばかりに恐る恐る近づくと「Dさんのライヴを観に尼ケ崎からたどり着
きました」と何やら謙虚なお言葉 こやつ存外に善良な小市民じゃなと見抜いた儂は卑怯にもギ ターを抱えてステージに立つや秘技「説教ブルース」をマンツーマンで二時間ほど浴びせ倒して やったのじゃ
厠にも立てぬその状況を堪えた天晴れ者
!タダ者ではなかりしと問いただすと あにはからんや「性は…名は義隆」と申すなり
おお!神も照覧あれ!ここにダンシング性を名付ける訳にはいかぬ運命の竜巻が巻き起こっ
たのじゃった 更に問いただすとカリスマ理容師の鶏の卵と申すなり ならば本日より「カッティン グ義隆」と名乗らっしゃいと申し添えたのじゃった
ライヴが終えてからルート161の支那蕎麦屋で身の上話を聞きながら互いの心を暖めあった
のが今日まで続く縁の始まりじゃったのよ!
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